2013年11月26日

あ、そうか!

ありがとう!
落ち葉は散らないんだ!枯れ葉が散るんだ!
散って落ち葉になるんだー!!!

こんばんはです

自然村 枯葉がいい感じです。枯葉吹雪が特にいいですが、これからが大変です・・・・
ハム UP宜しくです(礼)

こんばんは

今日の記事が重く長かったんで、箸休めのつまみ記事を作りました。これを明日にUPして、メインディッシュのローマイヤは木曜日にしませんか。私が木曜日零時すぎたらUPさせてもらいますので。
金曜日は宮ちゃんでOKなので心置きなく仕事におはげみあれ!(笑)

自然村、枯れ葉がはげしく散ってます

アップロードファイル 177KBアップロードファイル 270KBアップロードファイル 286KB

朝晩はストーブが欠かせなくなりました。今週の自然村、ちょっとした風で舞い落ちる枯れ葉が秋の終わりを告げています。考え方しだいでは、いまの自然村内、なかなかいい風情です。東京の皆さん、自然村で行く秋を惜しむにはこの週末が最後だと思いますよ。
 U字溝が落ち葉に所どころで完全に隠れています。特にカーブしているところでの運転はくれぐれもご注意ください。写真右は昭和通りのまきば台付近。

おはようございます

かなり長い文ではありますね。 こういう地名に興味がある人がどの位いるかですが、たまにはいいかなとは思います。
この前の鉄道の歴史などはかなり面白いですけどね。
今日はこれでいきましょうか。明日ハムにしましょう?
突然ですが、仕事が入り明日27日から29日まで東京にいく事になりました。宜しくお願いです。   後12月3日から5日まで東京です。重ねてよろしくです(汗)

こんばんは

以下の地理の記事はどう思いますか。長いでしょう。面白いか、堅すぎか?よろしければ今日でもあすでもよい方にUPします。金曜日の宮山フォトは届いてます。

秋の夜長、身近な地理のお勉強をしましょう

アップロードファイル 151KBアップロードファイル 1KBアップロードファイル 124KB

那須町の地名・大字(おおあざ)編
上掲(左)は以前、那須町広報に載ったものです。歴史的な話も入れ、なかなか興味深くまとめてありますのでまずはじっくり?お読み下さい。

そして、
自然村所在の大字 富岡 のお話
 明治以前の自然村周辺には、上田村、下田村、吉野目村、白井村、石住村、塩阿久津村という小村が散在していました。明治維新後、これら小村を集合して明治8年(1875)「富岡村」が誕生。自然村の土地の小字(こあざ)名の「下石住」、「上田」の文字が見られ、当時を偲ばせてくれ興味深いですね。
 ”富岡”は古くからの地名ではなく、当時では一般的に行われた机上の命名であって、一帯が小高い土地だったのでつけられたといわれています。
 明治9年には早くも芦野学校富岡分校が下田に開校しました。学齢人数は男36、女40名でしたが、生徒数男35人に対して、女子は14名(就学率35%)という記録があり時代を感じさせます。

 そして、この「富岡村」は、町村制施行の”明治の大合併”で、明治22年(1889)、芦野町に編入され、”富岡”はここで大字(おおあざ)名となります。黒田原駅の開業は明治24年(1891)で当時の那須村は寒村であり、”富岡”が、平安・鎌倉時代からの由緒ある芦野町に編入されたのは当然の成り行きだったのでしょう。
 
 この「芦野町大字富岡」時代は長かったのです。大正・昭和と時が流れ、現在の「那須町大字富岡」となるのは、終戦後です。
 昭和28年(1953)から”昭和の大合併”が行われ昭和29年11月3日、芦野町、那須村、伊王野村の3町村の合併でついに「那須町」が誕生しました。1995年から始まった”平成の大合併”では、黒磯市との合併話もありましたが、紆余曲折があったそうで那須塩原市に加わることなく今に至っています。

<参考> 以下をクリックすると上掲(右図)の国土地理院2万5千分一電子地図の自然村周辺の地形図になります。マウス操作で、図面を左クリックしたままドラッグすると画面がスクロールします。自然村周辺の地図散策をしましょう。ついでに周辺の地名を知っておくと何かと便利です。

 ★http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=55404100

<編集長から> 旧かわら版には、今も知っておきたい、または今も役立つ記事があります。この記事もその一つです。記事内容やデータは厳しくチェック、現状に合わせて加筆修正し、厳選して掲載いたします。