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那須黄金ゆば

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「ゆば」といえば日光が知られていますが、どっこい那須にも国産大豆100%使用の大豆にこだわりを持つゆばの製造所が黒田原にあり小売り直販もしています。場所はファミリーマートのほぼ隣りですが店構えはなく初めてだと分かりません。左の写真で赤矢印の「こがねゆば」と書かれた黒い棒が入口の目印です。中に入り大きな声で呼ぶと誰かが出てきて受け付けてくれます。那須ブランドに認定され、生ゆばのさしみは製造直売ならではの逸品でおすすめです。贈りものとして発送もしてくれます。名前は稲葉商店、電話0287-72-0150です。地図

18日(日曜)の那須岳

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写真は午前10時、銀河台から望む茶臼です。風がなく寒さも感じない日曜日となりました。ズームしたら山頂の噴煙がしっかりと見えました。

12月の自然村

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[写真左] 12日夜8時半、自然村の夜空に珍しい現象、月暈(げつうん、つきかさ)が見られました。月暈を写真に撮ると月が露出オーバーで大きく写るため暈(かさ)は実際より小さな円に見えてしまいます。夜空で直に見るととても雄大です。
[写真中] 13日は夜から雨が降り続きました。14日明け方には止みましたが未明には雪になったようで、朝起きたら家々の屋根がうっすらと白くなっていました。
[写真右] 15日、グッと冷え込んだ朝、今年もKさんの庭のシモバシラが付きました。−5℃以下に冷え込むと枝いっぱいに白いシモバシラが付きます。

自然村の所在地 富岡 のお話

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明治以前の自然村周辺には、上田村、下田村、吉野目村、白井村、石住村、塩阿久津村という小村が散在していた。明治維新後、これら小村を集合して明治8年(1875)「富岡村」となった。
 ”富岡”は古くからの地名ではなく、当時では一般的に行われた机上の命名であって、一帯が小高い土地だったのでつけられた嘉名(縁起の良い名前)である。
 そして、この「富岡村」は、町村制施行の”明治の大合併”で、明治22年(1889)、芦野町に編入され、”富岡”は大字(おおあざ)名となった。黒田原駅の開業は明治24年(1891)で当時の那須村は寒村であり、”富岡”が、平安・鎌倉時代からの由緒ある芦野町に編入されたのは当然の帰結であったろう。
 
 「芦野町大字富岡」時代は長く、大正・昭和と時が流れ、現在の「那須町大字富岡」となるのは、終戦後である。昭和28年(1953)から”昭和の大合併”が行われ昭和29年11月3日、芦野町、那須村、伊王野村の3町村の合併で「那須町」が誕生。
 1995年から始まった”平成の大合併”では、那須塩原市(黒磯市+西那須野町+塩原町)に那須町は敢えて加わることなく今に至っている。

<参考> 写真は国土地理院発行5万分の1地形図(大田原)の一部、芦野・富岡付近。地図に興味ある方は、同院の電子地図閲覧サービス2万5000分の1地形図URLを以下に記すので自然村付近の地名探索を楽しんで下さい。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=55404005

18日今週の日曜、伊王野道の駅で「大洗のうまいもん祭」

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那須町と友好都市である茨城県大洗町。特産といえば「しらす」と「あんこう」ですが、しらすは生と釜揚げの2色しらす丼で。あんこうは、寒い時にピッタリのあんこう汁として楽しめます。そして今年は「あんこうの吊るし切り」の実演が見られます。

<参考> 表面がヌルヌルして図体の大きいアンコウ(鮟鱇)はまな板の上では捌きづらい。そのための独特の解体法が「吊るし切り」です。また鮟鱇は捨てる部位がほとんど無く、柳肉(身肉、頬肉)、皮、水袋(胃)、キモ(肝臓)、ヌノ(卵巣)、えら、トモ(ヒレ)が食用にされ、これを「七つ道具」と呼び、鮟鱇鍋ではそれぞれの味と歯応えを楽しめます。
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=G-DvjaKSuhc#t=969.3802478