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晩翠橋物語 (ちょっと長文になりましたがご勘弁を)

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5日の鮎釣記事の“晩翠橋”写真を再掲する。写真左先に(写真中)の立派な碑があった。(写真右)の青銅板が嵌め込まれている。「土木学会選奨土木遺産」?ん、なんだこれは!「晩翠橋」はもしかしてすごいものかも?と思いネットで調べてみた。

 まず、"選奨下さった"「土木学会」、次に「選奨土木遺産」が分かった。晩翠橋は“わが国に2例しかないブレーストリブ・タイプのバランスト・アーチ橋”だそうだ。
 「ブレーストリブ」=斜材を使って組まれたトラス構造、「バランスト・アーチ橋」=balanced arch bridge3径間連続であるアーチ橋、アーチ部を中央径間と側径間に連続させた構造、だと分かった。ふ〜。あらためて写真を見ると、橋の姿が美しく見えてきた。
  参考URL★http://www.alternative-tourism.com/Japan/Photo/bridges/Bansuibashi.html

 次に晩翠橋の名前と歴史が知りたくなった。日本の道路の基点は日本橋。大動脈の国道1号は東海道、2号は山陽道、3号は九州で、日本橋に戻って北へ東北が4号、北海道が5号である。
 その(旧)国道4号線の那珂川に架かる橋が晩翠橋だから、歴史は古い。現在の晩翠橋は5代目、なんと昭和7年の竣工、74歳である。初代は明治17年の架橋。当初は決まった橋名はなく、晩翠橋の名が始めて登場する文献から判断して名付けられたのは明治20年ごろだと分かった。
 そして、名前の由来は、中国宋の詩人・范質(はんち)の詩「遅遅澗畔松・鬱鬱含晩翠」から採ったもの。「谷間の松はよく茂って、草木が冬枯れの中にあってもよく翠の色を保っている」という意味である。名付けた人は不明だがかなりの学識者であろう。「荒城の月」作詞者土井晩翠(本名は林吉)はまだ中学生で、名前は橋のほうが先輩である。
  参考URL★http://www.interq.or.jp/mercury/takasugi/stroll/oohashi.htm

 晩翠橋は路上式アーチ橋なので車ではその姿を見ることなく通過してしまう。橋の下に降りる道を紹介するので、黒磯へ出かける途中で立ち寄って端麗な橋姿を仰ぎ見ていただきたい。鉄道だと黒田原に向かい黒磯駅を発つとすぐ左側車窓から垣間見える。

tano 2006年06月10日(土)22:26

なるほど、なるほど!
勉強になりました。 改めて観察にいってみます。