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明治のころ、黒田原に温泉街があった!本当の話である

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まず、写真をご覧いただきたい。温泉を引いた木管である。材質は松で道路工事中に発見され、那須歴史探訪館に常陳されている。

 明治27年(1894)、有志が集まり「黒田原温泉株式会社」を設立、農商務大臣であったあの榎本武揚(たけあき)の認可を受け、営業を開始した。
 では温泉はどこから黒田原まで引いたかというと、茶臼岳にいちばん近い今や人気の大丸(おおまる)温泉であった。源泉の温度70度以上の温泉が川となって流れている標高1300mの大丸温泉そこから黒田原まで直線でも約18キロ、その間を松を刳りぬいた木管と、土管で延々と結んだのである。
 そして町役場の近くにある古寺普門院脇に「若松屋」、「松野屋」など数件の旅館が立ち並んで浴客で賑わっていたという。いまの町役場の場所は、明治20年にすでに開通していた東北線旧線の黒田原駅である。まさに駅前に温泉街があったことになる。温泉は長い道のりで温度は40度とぬるめであったという。
 しかし、木管が腐食したり土管が割れたりして温泉管の故障が絶えず、勝手に枝管をつけて湯を盗む者がいたりして、客足が減り数年で会社は解散、温泉場は廃業となってしまった。

 今でこそ車で簡単に行ける那須温泉郷だが、歩くしか行けなかった時代。木を刳りぬき土管でつないで温泉を引くという発想と実行力に、とても笑えない明治の先人の気概を感じてしまう遺構である。

次期住人 2006年12月09日(土)06:53

明治の人はすごい発想と行動力があったのですね。
それにしてももったいなかったですね。
現在の黒田原周辺には痕跡はないのでしょうかね?
ご隠居調べてください。