那須で役立つ情報・興味深い話題・管理事務所からのお知らせ
明治29年4月12日の下野新聞。ギャラリーななの金子書店さんからかわら版に掲載OKをもらったので紹介します。真ん中の拡大した「那須郡K田原驛の近況」をクリックしてお読みください。黒田原の様子を書いた120年前の記事です。巡査が良く働くので強盗、賭博がほとんど無くなったなんて面白いですね。右の写真は明治23年の黒田原駅。場所はもちろん今のところに移る前、現在の町役場の裏あたりです。
この貴重な資料と写真を展示しているギャラリーななの写真展「写真で 見る昔の 黒田原」は今月いっぱい土曜日で終了です。お近くでまだの方はぜひどうぞ。
<蛇足> 下野新聞(しもつけしんぶん)は1878年(明治11年)栃木市で創刊。県内他新聞との合併を行いながら発行を続けるがその間には田中正造らが編集者として名を連ねている。1884(明治17年)年3月に本拠地を宇都宮へ移転した。1941年(昭和16年)に一県一紙の国策で栃木県の代表紙となり、県内の他新聞社を吸収している。現在、県内普及率は4割を超え、読売新聞や朝日新聞を抑えて最も購読されている。関東の地方紙としては群馬県の上毛新聞とともに、全国紙を上回るシェアを持つ数少ない新聞である。発行部数は約31万部。毎日新聞社と資本・協力関係にある。
ギャラリーななはご存知ですよね。黒田原駅前の金子書店の片隅の小さなギャラリー。いま、黒田原の明治、大正、昭和に至る古い写真を壁いっぱいに展示しています。どんな写真があるかは行ってみてのお楽しみ。
写真の説明文が今一つ不足気味。書店の方に回ってギャラリー館長?の店主金子さん(写真右)に頼んで説明してもらいましょう。かわら版を見て来たと言えば、丁寧にガイドしてくれる約束になっています。 2月28日まで 時間8:00〜20:00
<ひとこと> 書店店主金子さんは、ギャラリーななの館長でもあり黒田原ミニFM局のオーナー兼プロデューサーであり一日も欠かさず更新するブロガ−でもあります。
皮を剥く前のソバの実を寒の最中に10日間ほど川底に沈めてから寒風の中で丁寧に乾かすと、アクがとれアマく長持ちするソバになるそうです。江戸時代には広く行なわれていて、今も山形・福島・長野などの一部で作られています。
この「寒ざらしソバ」はうまい!とソバ通の人からは聞いたことがありますが、その仕込みが横を流れる三蔵川の上流で始まったと、道の駅東山道伊王野のホームページに写真入りで載っていました。
⇒http://blog.michinoeki-tosando.jp/?eid=1628750
2月8日(日)〜15日(日)の「寒晒しそばまつり」が楽しみです。普通のソバとそれほど差はないという調査結果もありますが、一度は食してみたいものですね。
ユニークなのが100円の福豆袋(写真中)。中に福豆と抽選番号札が入っています。空くじ無しで電気製品や一升瓶など高価な景品も多く、外れても元は取れる景品がもらえます。一人一袋で3時半から配られます。常連さんが沢山いて用意の福豆袋がなくなるまで並び直せるので3時前から行列ができます(写真右)。景品の発表、引換えは豆まき終了後に行われます。
肝心の厄除けの豆まきは午後4時、神職が破魔矢を放って繰り広げられます。豆だけでなく他と比べとても多くの品が撒かれる事で地元では有名です。
問合せは温泉神社社務所0287-76-2306へ。境内は収容力が小さいので車は殺生石の駐車場に置いた方がよいでしょう。
「スマホ歩数計 富士通」で検索し表示された「8641(八溝)」を"グループ"に選択しましたら簡単にソフトが取り込み(インストール)できました。利用登録を済ませアイホン画面をみるとスマホ歩数計のマーク(アイコン)が入っていました(写真中)。
このソフトをクリックして見た画面が写真右です。利用者の人数が263人と分かり、前日の自分の歩数が第何位かが分かるのは歩く励みになって良いですね。バーチャルな次の中継観光スポットがどこなのかはわからないのも励みになって面白いですね。最初のスポット棚倉城跡をクリアしたら当かわら版でまたお知らせしようと思っています。